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小松について考える第5弾【前田利常、丹羽長重】について

みなさま、こんにちは

本日は、小松について考える第5弾【前田利常、丹羽長重】についてです。

人口:約106,000人

面積:371キロ平方メートル

歌舞伎勧進帳の舞台(安宅)

粟津温泉 法師 世界一古い湯 西暦718年

小松にゆかりのある人:松尾芭蕉 武蔵坊弁慶 前田利常

前田利常

1593年に生まれ前田利家の4男でした。跡継ぎのいない兄の利長の養子になり名前が一時利光になりました。1614年~1615年の大坂の陣にも参戦し、1639年に家督を譲り、46歳の時に小松に隠居しました。

その後、御細工所(当初は武具類の管理と修理が主な仕事でしたがそこでの工芸技術が極めて質の高い工芸品を生み出しました。小松、金沢を工芸都市として発展させた。)を設立し、芸能、工芸、美術を推奨し、加賀文化を築き上げました。

1658年死去、利家と同じ野田山墓地に墓石があります。

人物像:頭の悪い人物を演じてきた苦労人

丹羽長重

1571年に生まれ、織田信長、豊臣秀吉に従事しました。1585年に父が死去し、123万石を相続しましたが、佐々成政の越中征伐に従軍したとき、反軍したと疑われ豊臣秀吉により領土を奪われました。丹羽の勢力に危機を感じた対処といわれています。領土が4万石までになりました。その後、豊臣による小田原征伐にて功績を残し、12万石まで増えました。

1558年、豊臣秀吉が死去すると徳川家康から前田利家の監視を命じられました。

1600年の関ケ原の戦いで前田利長(前田利家の長男)と浅井畷の戦いで戦をしましたが決着はつきませんでした。

人物像:関ケ原の戦いで領土を失った大名だがのちに返り咲いた稀な経緯。堅実で素直な性格


投稿日:2020/08/19   投稿者:道場 肇