小松について考える第三弾【昔話】

みなさま、おはようございます

本日は小松について考える第三弾です。

  • 調べたこと  対象【 小松市の昔話 】

 韋駄天の勇松

勇松(本名北出亀松)は安政3年(1856年)大領村の農家の次男として生まれました。家が貧しかったので15歳の時名古屋相撲に入門。しこ名を勇松といいましたが32歳で相撲をやめ、故郷に帰ってきました。体力には自信があり、天秤棒1本と笊2つでできる魚の行商を始めました。遠い山の中まで足を延ばして毎日行商を続け、彼の足はさらに鍛えられました。

ある朝、魚を担いで郷谷川中流の沢村に来た時、子供たちのおもちゃにされていた1匹の白い子蛇を助けてやりました。1日の行商を終えて郷谷川の土橋のところまで来ると、年頃の美しい娘に出会いました。「私は今朝助けていただいた白蛇でございます」と言って、お礼に足の速くなる薬をくれました。勇松の足はこの日から特に早くなり、またどれだけ走っても疲れなくなりました。

ある日、仕事のために金沢と寺井の間6里の道のりを7時間に3度も往復したことがあったり、時には1時間に10里を走ったりしたそうです。

仏教を深く信じていた勇松は、時々京都の本願寺へお参りに出かけましたが、いつも汽車には乗らず走っていきました。ある時京都の駅前で、知り合いの小松の金持ちのおやじさんに出会いました。「おお勇松本願寺参りに来たのか。わしは次の汽車で帰るところじゃ。」「そうですか、ではお先にといって、勇松は走り出しました。このころの汽車は、京都から小松まで7時間もかかりました。おやじさんが小松駅について駅前に出てくると、今風呂から上がったばかりの勇松が家のほうに歩いていくのが見えます。勇松は汽車より早く時速40㎞で6時間半駆け通したそうです。北陸街道を京都へ走っていく勇松を見た人が、空を飛ぶようにしていく足跡を測ってみると間隔が3mもありみんなたまげてしまいました。

 

2.調べる前とまた調べたことによって得た学び

 

自分の郷土にも日本昔話のような逸話や言い伝えがあるのか調べてみました。

身近な地域で起こった話には親近感があり、その地域の由来など知るきっかえになると思います。

投稿日:2021/08/24   投稿者:道場 肇