みなさま、おはようございます
本日は小松について考える第四弾【浅井畷古戦場、小松城、前田利常について】です。
調べたこと 対象【浅井畷古戦場、小松城、前田利常について】
利家から家督を継いだ利長は関ケ原の戦いで上方へ向けて金沢城から出陣しました。
この時、小松城では丹羽長重、大聖寺城では山口宗長・修弘父子が敵対しており利長は上方へ向かう途中、攻め難い小松城は攻めずに兵を進め、大聖寺城を攻略、現在の福井県あわら市まで進軍しましたが金沢へ引き返しました。石田方の大谷吉継の軍勢が金沢を攻撃するとの情報が入ったといわれています。
利長の軍勢が金沢へ戻る途中、能美郡大領村から浅井村へ差し掛かったところで軍勢の殿(最後尾で敵の追撃に備える部隊)を務めていた長連龍の部隊に対し、小松城の丹羽長重が攻撃しました。これが浅井畷の戦いです。
双方かなり被害がでたところで丹羽軍が撤退して戦いが終わりました。丹羽が利長に和睦を申し入れ、相互に人質を入れることになり、利家の四男として生まれ、越中の守山城にいた8歳の利常が人質として小松城に入りました。
関ケ原の戦いが終わり丹羽長重は領地没収となり、利長に与えられ利常の人質生活は終わり、利長の後継となることも決まりました。利長から家督を継ぎ金沢へ戻るまで利常は小松城に残りました。
利常は47歳で家督を譲り、小松城を隠居地と定め、それにふさわしい城になるように小松城の整備にとりかかりました。
2.調べる前とまた調べたことによって得た学び
最近土地を売買した隣地が浅井畷古戦場でした。現地確認にいった時に機会があれば調べてみたいと思っていました。小松城や小松の歴史については試験にも出題されず学校では特に教えられませんでしたが最近では小学校で地域や小松の歴史について自分で調べて発表する時間があるそうです。
ちょっとした時間で調べられるのですがこのような機会がないと調べないものだと思いました。