小松について考える第六弾【加賀三湖干拓建設事業】

みなさま、こんにちは

本日は小松について考える第六弾【加賀三湖干拓建設事業】についてです。

  1. 調べたこと  対象【加賀三湖干拓建設事業】

 ここ小松市は、水稲作付面積、収穫量とも県下2位の稲作が盛んな地域です。

 今回は、排水改良と水田開発のため国策として実施された加賀三湖干拓建設事業の歴史について調べてみました。

 「加賀三湖」とは、小松市から加賀市にかけて存在する「柴山潟」と「木場潟」、そして今は干拓されて農地となっている「今江潟」の3つの潟の総称です。

縄文時代早期(約1万年前)の加賀三湖周辺は海の中でしたが、徐々に海が後退し、弥生時代中期(約2千年前)に形成されたと考えられています。このような湖は海跡湖(海から分かれた湖)と呼ばれます。

その頃から周辺で始まったのが米作りです。農耕文化が定着してから近年まで、先人たちは耕地の拡大と整備に汗水を流してきました。最大の難問は「排水」です。潟周辺は低平な上、三湖すべての排水が梯川から日本海に流れていたため、洪水時は梯川の水が潟まで逆流してきました。冬には日本海からの風が、河口に大量の砂礫を吹き寄せて河口をふさぎ、加賀三湖一帯が一面の湖と化すこともたびたびありました。

 また、昭和23年の福井大地震により、串茶屋町では63㎝、その他の地域でも30㎝前後の地盤沈下が生じ、水害の頻度がさらに増加。これを契機に地元民からの強い要望を受けて昭和27年から「国営加賀三湖干拓建設事業」が実施され、今江潟の全部と柴山潟の3分の2を干拓。のちに県営圃場整備事業により昭和51年には水田農地として全面作付けが行えるようになりました。一方、木場潟は用水源や、洪水調整池として残すこととなり、県内唯一、当時のままの姿で現存する潟となっています。

 

2.調べる前とまた調べたことによって得た学び

 先日、家業の稲刈を手伝っている時、叔父から「ここは柴山潟の底やったんやぞ」と聞いたことがきっかけで今回の調査題材としました。我々がおいしいご飯を食べて安全に暮らせているのも、先人たちの知恵と努力の賜物であると知ることができました。また、農地と宅地の共存を目指すコミュニティや、自然環境や景観等にも配慮した整備もされ、未来を見据えたSDGsの取り組みとつながっていることがうれしくも思いました。

投稿日:2021/08/28   投稿者:道場 肇